単なる一人言
数ヶ月前に起こった事をきっかけにして、私が普段から抱えているトラウマ問題について、もっと真剣に、本腰入れて取り組まなければ、「死ぬな」と感じたので、本を沢山買って、脳内の整理や鍛錬を再び始めました。
私は他人にあまり興味を持てなくて、人が嫌いなわけでもなくて、でも所謂「人間」が嫌いでもあり、はたまた「救世主」を他人に求めてしまっているところもある。
自分の特徴を理解しようとしてここまで共にしてきてくれている家族にも恵まれているし、毎日美味しいご飯やお菓子も食べられて、雨風を凌げるお家もあって、手脚を十分に伸ばせるお布団で寝られて、お水が水道から際限なく出てきて、紛争のない地域に住めて、こんなに幸せなことはないはずなのに。
それでも体は、脳は、「キツい」と、言ってくるから、まだまだ内観が粗いのだと思う。(単純には腸内環境と脳機能の問題とホルモンバランスなのだろうけれど)
そのキツいことが、向上への架け橋になってもいると思うし、大きな支えにもなっている、なんて言える程何か大きなことを成しているわけでもないけれど、この自分にしか解らない苦しみや特徴が、生きていることそのもの、のような気がしている。
この世で何も問題がなくて、みんな楽園、のらりくらり全員が幸せだとしたら、それがずーっと続くの?
それが続いている世界、その先もずーっとそれ?
幸せで何か悪いことはない。
意味を見出すのも野暮な気がする。
何のために生きているの。
自分のため?自分が幸せになるため?
自分一人が?
高いところへ行かないと、力を付けないと、人を引っ張ることはできないのだから、気持ち引きずられながらも自分のことだけ考える、のが難しい。
けど、客観的に見ることははっきり言って不可能。それは想像でしかないから。本当の客観はできない。
自分を通すしかないから。
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